ピーター・フランクル [official web site]
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☆イタリア人の9割は原発に反対?

(2011.7.4)
イタリアで原発再開の是非を問う国民投票が6月12、13日に行われた。14日に開票作業が終了し、内務省によると、投票率は54・79%、原発再開への反対票は94・05%に達した。国民投票は成立した。

イタリアの国民投票制度は不思議である。ある議案が可決するための条件として、ひとつには「有効投票の過半数を獲得する」というものがあり、これはどこの国でも当たり前のことである。問題となるのはもうひとつの条件、「有権者の半分以上が投票へ行かないと議案自体が成立しない」ということだ。これがかなりの足かせになっており、イタリアでは過去計62回の国民投票のうち成立したのは35回。有効投票の過半数が賛成でも、かなりの議決が通らなかったのだ。

たとえ有権者であっても、よほど興味がなければ投票には行かない。法律とは本来国会が決めることであり、どうでもいいことを国民投票で決めるのはどうなのか、と疑問を抱く国民が多いのだ。

投票に行く人が極端に少ない場合、棄権者の意志を尊重して現状維持になるのは仕方のないことだが、こういう決め方によって人の戦略が変わる。

例えば原発問題について、反対派が六割、推進派が四割だった場合、推進派の人たちが国民投票でとるべき戦略は「投票に行かないこと」である。推進派が投票に行くことは自分たちに不利益に働くからだ。

四割である推進派がまったく投票に行かず、反対派六割のうち八割が投票に行ったとしても、有権者の48%しか行かなかったことになる。すると半分を超えていないため、国民投票としては認められず不成立に終わってしまうのだ。そのような「無投票の戦略」を推進派がとったのならば、原発反対派はイタリア国民全体の94.05%であったとは言えない。

過半数以下の支持をもっている人たちにとって、投票に行かないことが一番良い戦略ということになってしまう制度自体がおかしいのだ。民主主義の基本というのは、より多くの人が意見を出しあってひとつの議案を決める、ということにあるのに、最良の戦略によって投票率が下がってしまうのは本末転倒である。投票率が下がれば下がるほど、民意は反映されないからだ。

そういった裏にある戦略の結果示された数字だけを取り上げて騒ぎ立てるマスメディアについても、僕は疑問を抱いている。
 

☆ピーターからのメッセージ

(2011.6.2)
東日本大震災が発生してから間も無く3ヶ月になる。
犠牲になった方々のご冥福を祈りつつ、被害者皆様にお見舞い申し上げます。
復興が思うように進まないことで、日々のニュースを読む・聴くのも嫌になってしま う。

阪神淡路大震災はボランティア元年になったらしい。美しい諺「災い転じて福と成す」の通りとも言える。
犠牲者のためにも今回の震災を「丸々元年」にしないといけないだろう。
ピーターの提案は「時短元年」である。
先進国の中でも輸出黒字が多い2つの大国、日本とドイツを比較すると似ているところが多い。
天然資源が殆ど無いのに敗戦後は奇跡的な復興を果たした。労働力と技術の水準が高くて、国民は真面目で一所懸命であるなど。
一方、様々な違いもある。例えば、日本人に較べてドイツ人は全く時間に追われてない。労働者は残業をせず、年に6週間の有給休暇を楽しむ。

省エネ、電力不足が懸念される今日、日本も同じことを目指すべきではないだろうか。
そのために幾つかの具体例を挙げてみよう。

(1) デパート
日本に来た頃は各デパートは週一の休みがあった。三越は木曜日、西武は水曜日とか。
バブルがはじけてから売り上げを伸ばす目的で定休日はなくなった。それで売り上げが伸びたかと言うとそうでもない。
電気使用量と経費が増えただけだ。考えてみると当然の結果だ。例えば、高島屋のファンであれば、その定休日を避けて買い物に行くけれど、それで服などを買う日は一日ずれることがあっても消費は減らない。
平日に銀ブラをしている人は三越が定休日なら隣の松屋で買い物を済ませるけれどそれで三越は損をすることはない。
なぜなら松屋の定休日は皆三越に来るからだ。

(2) 飲食店
年中無休の所が多いけれどこれは本当に必要なのか?
近くの店同士で提携して、共通のメンバーズカードなどを作って、異なる日を定休日に決める。
必要なら店の入口に提携店の地図などを張るなどの工夫もする。週一の定休日で電気料金などは14%も減る。

(3)学校
ドイツの学校は給食がなく2時前に皆下校。土日は参観日やスポーツ活動も無く、完全休校。
6週間の夏休みを含み、先生方も年に12週間の有給休暇を職場を離れて楽しく過ごす。それでもドイツの教育水準はかなり高い。
その下支えは宿題である。生徒は家で、独りでやるので自主性も高まる。日本でも学校での時間を減らして、宿題を増やす余地が十分ある。
かなりの節電効果は見込まれる。

  日本経済が円高を乗り越えられた原因は生産の効率を上げたことだと言われている。
省エネのためにサービス業、事務や教育の効率をあげることは如何だろうか?
 
 

☆新年のご挨拶

(2011.3.8)
明けましておめでとうございます。今年のご挨拶は遅くなりました。
新年を迎えたのはタイでのこと。0時0分の瞬間はクラビの海で釣りをしていた。夜は昼間より大きな魚が釣れると言われ、試してみた。その情報は正しかったけれど、大きな魚(2キロのコショウ鯛)を釣り上げたのは僕ではなく、船の船長である。一応、四方から上がる花火は僕も愉しめた!
 釣りの面では、タイ旅行は大きな成果がなかったが、決してがっかりはしていない。なぜなら、秋から学んでいたタイ語が結構通じたからだ。方々で出会った人達との会話を愉しむことができた。
以前も何回かタイを訪れたが、得た情報はとても浅いものだった。例えば、
・バンコクはどんどん発展していく
・大型ショッピングモールがまた新たに開店した
・市内を走る高級車が増えた
・高層マンションが林立するようになった
・新空港は成田や羽田より賑やかだ
などなど。
 恥ずかしいけれど、今回は初めてその裏にいる人間が(少し)見えてきた。タイは日本に敗けないほどの格差社会で、お金持ちも大勢いる。しかし一般人の給料はかなり少ない。国家公務員の月給は2万円程度で、何年働いても3万円を超えることは難しい。
 クラビやプーケットなどの観光地などで働いている人たちと話していると、彼らの中にはタイの東北、イーサン出身の人がとても多いことに気がついた。そのイーサンは太宰治時代の日本の東北に似ているところが多い。他の地域より貧しく、子どもが多く、仕事がない。働く意欲と勇気がある人達はどんどん故郷を後にしてしまう。
 クラビのホテルで洋服を洗濯にだした。そこの担当者は30代の女性で、土日も、お正月も、休日なしでバリバリ働いていた。洗濯機の上に、8歳くらいの女の子の、ポスターサイズの写真が飾ってあった。僕はテレビドラマの子役の子かな、と思って「誰ですか?」と聞いてみると、「娘です」という答えが返ってきて驚いた。しばらく話をしてみると、彼女はイーサン出身で、娘が2歳の時にご主人が亡くなったそうだ。イーサンでは仕事が全く見つからなかったので、娘を実家に預けてひとりでクラビに来た。収入の殆どを娘の生活と養育費として送金しているらしい。最後に会えたのは3年前で、写真もその時のものだそうだ。
「お金を恵んで」と言われたら、その話も空想上の身の上話だと思っただろう。しかし、そんなことはなく、とても前向きで、「これで娘が高校を卒業できれば自分も幸せだ」と言っていた。「わたしは暇もお金もなく、可哀想でしょ」という態度は微塵も見せなかった。
 旅行会社でプーケットのホテルを予約した。ファックスで確認を待つ間、20代の女性スタッフと話をしていた。彼女もやはりイーサン出身で、今の自分の仕事にとても満足しているそうだ。勤務時間は毎日10時〜22時で、海で泳いだことは2年間で一度もないけれど、月給は7000バーツ(約2万円)だ。プーケットのホテルに2泊する為に7500バーツを渡すと時、「これは彼女の1ヶ月の賃金よりも高い!」ということに気がついた。「もっと安い宿に泊まって、余ったお金をタイの人々に提供する方法はないのか」と考えた。
 
 

☆TV出演情報

(2010.11.30)

2010年12月18日(土) 19:56〜22:30
日本テレビ『世界一受けたい授業』  
 

初めての体験

(2010.5.17)
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この間面白い依頼が入ってきました。

なんと、NHKの人気大河ドラマ、『龍馬伝』へ出演してほしいと!

それを聞いた時には、「俳優でも日本人でもない僕が!?」と驚きました。

よくよく話を聞いてみると、僕の役は龍馬が活躍する江戸時代にフランス公使をやっていたロッシュさんという人の役でした。もちろん喜んでOKしました。

彼のことを調べてみたのですが、日本人を高く評価している人であり、僕と共通しているところもいくつかありました。例えば、彼は自分の生まれた国(フランス)を20歳の時に出て、父親が仕事をしていたモロッコへ渡り、そこで外国語を勉強したそうです。そしてその語学力が買われて、のちにモロッコやアルジェリアでのフランス公使を務め、ついに日本にも来たのです。

僕にとって『龍馬伝』出演は人生初の大河ドラマ出演となりました。

事前に衣装合わせやリハーサルなどあり、僕にとってはとっても面白い体験がたくさんありました。NHKのスタジオに当時の江戸時代の光景が立派に再現され、付け髭などをつけて僕自身でも自分の顔かどうかわからないくらい変身し、イギリス人やアメリカ人公使と一緒に話合いをしたり、幕府の使者と話をしたり…

とっても良い想い出となる数日間を過ごしました。

その結果としてできた大河ドラマのシーンを是非多くの人に観ていただきたいと思います。ピーターのことも「あのフランス人がピーターだ!」とわかってもらえると嬉しいです。

ちなみに日本に来て公式な仕事の場でフランス語を使ったのはこれが始めてです。

以前NHKの討論会において英語でお話ししたことがあります。もちろんいつもは日本語でお話していますし、母国ハンガリーを訪れ、TV番組でハンガリー語を使ったり、東欧5ヶ国がEUに加盟した際にはチェコ語でTVに出演したこともあります。しかし、国籍になっているフランス語を使ったのは今回が初めてなのです。

観て下さった方は是非ご感想をお寄せください!

 

エチオピアの学生は皆上を向いている

(2010.3.15)
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エチオピアはアフリカの中では珍しく、とても永い歴史があります。キリスト教信者が多く、2000年近くも前にキリスト教が伝来したと伝えられています。世界遺産に認定されている遺跡もあちらこちらにあります。しかし、僕の旅行では遺跡を巡って昔の人のことを知るよりも、今生きている人、若者を訪れることが主となっています。 今回も首都アジスアベバにあるJICA(日本国際協力機構)のオフィスを訪れ、そこで紹介されたエチオピア北部の学校で教員として活躍している10人ほどの日本人を訪ねました。そして彼らの働くいくつかの学校で授業を見たり、自分も授業をしたり、校庭で1000人近い全校生徒の前で大道芸を披露したりしました。
青ナイル川の源流であるエチオピア最大の湖、タナ湖がある大きな都市に行き、そこにある大学も訪問しました。緑が多くとても綺麗な学校でした。そしてキャンパスには溢れるほどの学生がいました。そこに通う学生たちとも話をしましたが、皆未来への希望も大きく、勉学に勤しんでいる姿に大変感銘をうけました。
構内で大道芸も披露したところ、その報酬として学食が出るレストランへ招待されました。大体の学生たちは貧しく、構内にある寮に泊まっています。寮に泊まっている学生たちは学校のレストランで学生証を見せて中に入り、食券などは買うことなく食事ができるのです。僕もみんなと同じように中に入って、エチオピアの名物料理インジェラを食べました。
アジスアベバに戻ってからはアジスアベバ大学にも行ってきました。40年以上も国王を務めたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世が設立し、彼の宮殿だったところが大学のキャンパスの一部になっています。そのキャンパスもやはり緑が多く、美しい建物がたくさん並んでいました。そこの学生とも交流し、たくさん話をしましたが、やはり意志を高くもっている学生がたくさんいるように感じました。何が彼らの希望の基になっているかというと、アジスアベバの街を歩けば目につくように、「建設ブーム」なのです。現在は主に中国、続いてイタリア、多少日本や他の国や投資家の援助もあり、新しい建物やホテル、地方へ行く道路を新しく作ったり、舗装したりする現場がたくさん見られます。そのような街全体の活気あふれる様子が若者に希望を与えているのです。
知り合った大学の先生の家に招待されましたが、日本人から見れば貧しい環境にあり、家周辺の道は舗装もされていない土だけの道でした。また、家には水道や水洗トイレもありませんでした。しかし、そこに住む人々が希望を持っているか持っていないかは、現状とはそこまで関係ありません。数学的に言うと、実際の生活水準ではなく、生活水準を表すグラフの微分(=傾き)によって決まるのです。自分たちの生活は毎年良くなっている、これからも良くなるんだ、と信じている人たちは希望をもっていて明るい。しかし永い不況に苦しみ給料やボーナスも下がり、将来の不安を持っている日本人・若者たちは、実はエチオピアの人たちより何十倍もモノを持っています。しかし将来への希望・期待はそこまで持てないというのが現状なのです。
 今までアフリカの他の国も色々訪れてきましたが、これだけ多くの若者が強い学習意欲、将来への期待を強く持っていると感じたのはこのエチオピアのだけではないかと思います。

 

新年のご挨拶

(2010.2.16)
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新年明けましておめでとうございます。
写真は先週自分の手で初めて釣ったキンメダイです。すごく嬉しかった!
今年は既にエチオピアとジブチという国に行ってきました。非常に面白い旅でした。
そこでその旅の話を少ししたいと思います。

最近の日本の若者は、経済状況悪化の影響もあり、あまり海外に行きたがらないそうです。国内にいてもテレビや新聞、雑誌、インターネットなどのお陰で海外の情報を十分手に入れている気分になっているということもあるでしょう。自分の足で海外の土地を踏まなくても、海外の状況を十分理解できると思っているのです。
しかし僕はそうは思いません。というのは、ニュースの大半はアメリカもしくは戦争を続けている国々(アフガニスタン、イラク、パキスタンetc.)だったり、ヨーロッパの先進国の情報が多少報じられる程度です。例えば、僕の母国ハンガリーのニュースが報じられるのは、選挙の時くらいです。そしてアフリカの発展途上国のニュースが報じられるのは大きな災害や内戦があった時や選挙結果や政権交代の時に限ります。
何を隠そう僕自身も現地に行くまではエチオピアのことを殆ど知らなかった。実際現地に行ってたくさんの事を学び、(6回目のアフリカ旅行でしたが)初めて希望に溢れるアフリカの人々を見たような気がします。この旅の話の続きはまた次回に〜

TV出演情報

(2009.8.17)
前回のテレビ出演情報に誤まりがございましたので訂正させていただきます。
正しくは
8月18日(火) 22:50〜23:30 NHK総合テレビ
『どう描かれたの?明治ニッポン〜風刺画に見る世界の“目線"』
*放送日・タイトルが変更になりました
公式HP

パキスタン旅行(その3)

(2009.4.22)

  国際会議へ招待された25人程の先生を大学の数理科学研究所まで運ぶバスはホテル前で待っていた。全員乗るとかなり窮屈で、左右の席の間にある補助椅子も必要となった。20メートルほど離れた所にすごく立派なパノラマ・バスが停まっていた。それは何と昨日テロリストの襲撃を受けた車だった。
  恐るおそる見に行ってみるとフロントの防犯ガラスは3ヶ所も壊れていた。2,3_の穴が開いていて、ガラスには雪の結晶のように放射状に4,5aひびが広がっていた。バスを横断した弾痕もすぐに見付けた!
  研究所へ向かう途中に、テロがあったリバティー・チョーク(自由広場)を毎日通った。そこには連日人が集まっていて、殺された人達の写真に花を供えたり、祈祷したり、大声で叫んでいたりした。
  10分程で研究所がある路地に着いた。入口には銃を持った警備員がいた。研究所の屋根の上にもまた、警備員がいた。しかし強い緊張感が漂っていたのは初日だけである。翌日は警備員にお手玉を披露した代わりに記念写真を撮ってもらったり、別の人にウルドゥー語で「弾は幾つ?」と尋ねたら銃を開けて実弾を握らせてくれたりした。
  二日目の午前、僕の講演が無事に終了して、ホテルと研究所だけにいる「軟禁状態」はすごく嫌になった。渡りに船というか、研究所の庭でいつもの様に用意されている昼ご飯の際、カーンという大学院生に「先生の講演の原稿を是非コピーさせて下さい」と声を掛けられた。「どこでコピーするの?」と聞くと、「近くの市場で」という答えが返ってきた。これはチャンス!と思い「では一緒に行こう」とカーン君と門の外へ出た。たかが徒歩6分の小さな繁華街に行くだけだったのに、大冒険が始まるかの如くワクワク、ハラハラと溢れる好奇心と拭い切れない緊張感で胸が爆発しそうだった。(続く)

パキスタン旅行(その2)

(2009.3.31)

  ラホール行きの飛行機は満席で、しかもほとんどの乗客は服装からも明らかに判るようなイスラム教徒だった。隣に座った人はラホール生まれで、シドニーでパキスタン製生地を販売している人だった。そのため英語はとても流暢に話せた。機内食にはアラビア文字で「ハラール」、つまり「イスラム教徒の人も食べても大丈夫です」と記されていた。実はキリスト教も、イスラムよりも強く、古いユダヤ教に影響を受けていた。豚を食べないなどの、食に関するイスラム教の戒律の由来もそこにある。しかし、この事実を知っているイスラム教徒はほとんどいない。それどころか、彼らはユダヤ人を蔑んで「PIG EATER(豚喰い)」と呼んでいる。
  そのような話はせず、チキンライスを食べながらたわいのない会話を愉しんだ。家族との再会を楽しみにしている彼は、食後すぐに眠ってしまった。一方、東京で起きてから20時間以上も経った僕は、不安で睡魔も襲ってこなかった。次から次へと見えてくるインドの都会、カルカッタ、デリーなどを空から確認しながら、1947年の独立後に対立と戦争を繰り返してきたインドとパキスタンの歴史を考えていた。  
  深夜23:40にラホール空港へと着陸した。入国審査のために並んでいて驚いたのは、検査員が全員女性だったこと!インターネット新聞で受けたイメージにはそぐわなかった。イスラム原理主義が幅を利かせるパキスタン社会では、女性は働かない、男性と接することは極端に少ない、と思っていたのだ。これはラホールで破られた先入観の第一号にすぎなかった。
 パスポートに無事入国スタンプが押され、手荷物もすぐに出てきた。そして外に出ると約束通り僕の名前が書かれた横断幕を持った人が待っていた。彼は運転手で、僕をホテルの車、パキスタン工場で組み立てられたトヨタ車まで案内してくれた。  空港から街までの道の両脇に、軍の駐屯地と退役軍人の住宅が並んでいた。午前中に起きたテロの影響で、車は2箇所で警察に止められ、運転手の身分とトランクがチェックされた。  街の中心部に入ると予想以上に西洋的で、ホームレスの姿もゴミも見当たらなかった。小半時間でホテルに到着した。(続く)

パキスタンに行って来た

(2009.3.24)

  3月3日から8日までの5日間はパキスタンの古都、Lahoreを訪れた。その切っ掛けは向うのある大学(GCU)で行われた数学会議だった。招待状が届いた時は正直言ってかなり迷っていた。日々テロ事件が起こっているパキスタンに行くべきか,と。しかし、この国を訪問するチャンスは他ないのではないかと思い、会議への参加を決心した。

  人口が一千万程度のLahoreなのにテロや政治的不安によって国際便も減り、結局バンコク経由で行くことになった。バンコク空港で乗り継ぎ便を待ちながら有料インターネットで世界のニュースを見た。何とトップに出てきたのは「今朝Lahoreでテロがあり8人が死亡。犯人グループは逃走中」。地図で見るとテロがあった自由広場(Liberty Chowk)は僕泊まるホテルから500メートルしかない。出発の前にインド人の友人をはじめ、多くの知合いにあんな危ない所へ行くべきではないと言われた。Lahoreは内戦状態であるPeshawarと違うから大丈夫、とたかをくくっていた僕もこのニュースを読んでびびった。ゲート前の待合室もとても緊迫した様子だった。Urdu語は少ししか判らないけれど方々から聞こえる「Sri Lanka」や「Cricket」の言葉が聞こえて、やはり皆Sri Lanka の Cricketチームが攻撃されたテロのことを話し合っていることは明かだった。誰かと話をしたいな、と周りを見たけれど日本人も白人も見あたらなく、パキスタン人は皆暗い表情で困惑しているようだった。しかもその中でもイスラム原理主義の服装を着ていた者が多かった。「今なら渡航をまだ辞められる。そしてタイで楽しい休日を過ごして日本に帰れる」と弱音をはきそうになった。迷った挙句自分の強運を信じることにして飛行機に乗った。 (続く)

数学者の視点

(2009.2.12)

  「数学者は皆計算が上手い」と思いがちだけれど、二桁の掛け算でも電卓に任せる数学者も多い。数学者は何よりも物事を論理的かつ数量的に考えている。その結果として文系の人とは違う発想が生まれるのだ。一例として、税金について考えてみよう。  数百兆円の借金を抱えている政府は、税金収入を増してこの問題を解決しようとしている。そのために3年後から消費税を徐々に増やそうと与党は考えている。時期は別として、野党の大半もこのことを仕方ないと思っている。  ところが、この方針を論理的に検証するとこうなる。国の債務を、経済活動を圧縮せずに減らす方法として税収入の増加が好ましい。まさにその通りだ。しかし、「だから消費税」というのは間違っている。  世界屈指の経済大国日本、そもそもなぜ借金が膨らんだのか?その原因は中曽根時代の税制改革、最大税率の大幅削減である。四半世紀前には一億総中流と言われた日本は、今欧州以上に格差社会となっている。正に最大税率を引き下げた結果である。例えば、昔は一億円のボーナスから手元に残るのは二千万円だった。この二十年は五千万円、つまり2.5倍である。逆に国庫に入るのは八千万から五千万に減った。  皆さんはもうお分かりだと思う。ピーターの提案は、消費税を上げる代わりに累進課税の最大税率を元に戻すことである。すると格差社会の拡大に歯止めがかかると同時に収入が一千万円未満の一般人は増税を免れるだろう。一石二鳥ではないだろうか。

ピーターのひとりごと

(2008.12.8)

  年末年始はインドに行くことにした。ムンバイで起こったテロ事件がショックだったけれど「これからの1,2ヶ月は大丈夫だ」とたかをくくっている。なぜならこの程度大きな事件を起こすためには相当な準備が必要だろうと。
 因みにチケットを購入した時にびっくりしたのは燃料サーチャージ(fuel surcharge)である。もちろん新聞などで話題を見聞していたが、その金額にびっくりした。
 昔はよく青山通りにある紀ノ国屋スーパーに買い物に行った。二階に渡る広々した売り場面積と他のスーパーであまり見当たらない食料品は最大の魅力だった。6年ほど前にスーパーは狭い仮店舗に移って、元の場所は更地になった。開発になぜこんなに時間かかったのか不思議だが、この間その辺を歩いていたら、スーパーが元の場所に戻ったことに気付いた。
 元の場所とは言え、新店舗は極普通のオフィスビルの地下一階でとても狭くて、強いて言うと仮店舗のままだ。棚と棚の間はショッピングカート同士は随時接触しそうになる。悲しいことに僕が一番好きだったパンのコーナーもすごく圧縮されて、毎回買っていたパンは姿を消した。
 新しく登場したのはフランスの麦を使ったクロワッサン。とても美味しそうだったが値段を見てびっくりした:299円。そう言えば世界市場での麦の高騰によって巷のパン屋も軒並み値上がりした。しかしピーターは納得できない。
 知り合いに尋ねたところ麦などの原料費と光熱費を合わせても売値の15%に満たない。
つまり値段が100円のパンに対して本来の原料代は15円だけだ。だから麦の値段は倍になったとしても30円で、元より15円増えることになる。この場合の新しい値段は115円で15%の値上である。ところが巷のパン屋で30%以上の値上げが行われたような気がする。
 更に言うと国際市場で麦価はこの3ヶ月間でドルベースで40%程度値下がりして、ドルも円に対して15%程度値を下げたのだ。日本円で計算すると麦価はほぼ元に戻った結果になる。フランスの麦だとユーロベースなので円に対して25%も値下げしてしまった。
 国際市場での石油の価格は最高値の 1/3 になっている。もはや燃料サーチャージに正当な理由は無くなったのではないだろうか― と朝御飯のおにぎりをもくもく食べながら考えている。

父の百年祭

(2008.10.23)
 大分長い間このHPを更新するのを怠ってきた。それを常に反省していたのでなかなか更新のタイミングも逆に難しくなった。だから今日、つまり2008年10月24日になってしまった。
 HPを見て下さる皆さんにとって10月24日特別の日ではないかもしれない。しかしピーターにとっては「父の生誕100年」に当る。実は2008年になってから(僕にとってはその瞬間がパプアニューギニアで訪れた)ずっとこの日のことを考えていた。何か大きなパーティでも開催しようかとも計画した。しかし残念ながら父の元気な姿を知っている日本人の知り合いがいないし、最愛の母もこの日を見ることができなかった。  だからこの「百年祭」は一年中ピーターの心の中で開催している。父のことを毎日想いながら日々彼に感謝している。あまり長くなるといけないので今回は百歳に関する父のお話を紹介しよう。
 ハンガリーで人口5万人の街、Kaposvar で皮膚科医として知名度が高かった父。彼と一緒に路を歩くと刻々挨拶されたり、足を停められたり、時には病気の相談までされたりして、なかなか前へ進まない。でも父はこれを愉しんでいた。道端で相手の患部を観察したり、立ったまま薬の処方箋を書いたりもした。お金を渡そうとする人もいたが父は毎回断っていた。それで相手はよく「百歳まで生きて下さい」と言ってくれた。そんな時父の答えは決まってユーモアたっぷり、「そんなにケチらないでよ!120歳までと願ってよ!」だった。
 日本の漫才や落語のユーモアは西洋の冗談と大分違うのでちょっと説明しよう。ケチは本来お金などの有料な物を惜しむ人に対して用いられる言葉である。この場合、例え200歳までと言っても無料である。その可笑しさは笑いの元となる〜  ハンガリーで未だに男性の平均寿命は70歳程度である。120歳どころか100歳も無理だろうと父も判っていた。でも僕としては父にせめて百歳まで生きて欲しかった。その夢は叶わず、85歳でこの世を去った。そして、4年前の誕生日、10月24日には母も逝ってしまった 〜

TV出演情報

(2008.9.3)
 ・9月5日(金) 19:00〜21:24 
日本テレビ『第28回全国高等学校クイズ選手権』 


ピーター活動情報

(2008.4.29)
 ・5月13日(火) 13:30〜15:00
  スズケン市民講座「人間を考える〜私の熱中時間」
  (NHKセンター青山教室)にて講義を行います。
  ※5月25日(日) NHKラジオ第2放送で講義の様子が放送されます。
   詳しくは下記URLをご参照ください。
  http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_436555.html


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